発達障害への心理療法的アプローチ (こころの未来選書)
河合俊雄 田中康裕 畑中千紘 竹中菜苗
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ユング派の心理療法家・心理学者による、「発達障害」に関する論文集を読みやすくしたような本です。

いや〜 めっちゃ刺激的で、おもしろかった。意欲作、問題作と言えるのではないでしょうか…。読みながらたくさんメモをとってしまいました。

発達障害…ここ10年でメジャーになった言葉であり、時代の最先端の病、ともいえると思います。

いまや、子どもも大人も「あの人は(自分は)発達障害ではないか?」という疑問が巷に溢れている、といっても過言ではないでしょう。

本書で知ったのですが、「重ね着症候群」という言葉があるそうです。

もともとは発達障害であるのに、さまざまな仮の症状をまとっているために、違う診断を受けてきた人たち〜強迫性障害であったり、うつ病、統合失調症、境界性人格障害まで〜がかなりいるのではないかということ。これも衝撃的。

さて発達障害へのアプローチ(援助)といえば、心理療法(カウンセリング)というよりも、療育や訓練が主流で、心理療法は、二次的障害へのアプローチとして補助的に行われるのがある意味常識です。

しかし、筆者らは、発達障害(子ども、大人)自体にどのような心理療法が行えるのか、その事例研究をしています。なるほど。。。とても興味深いです。

ですがそれ以上に衝撃を受けたのは、

「心の病」の歴史的変遷に、「発達障害」をどのように位置づけるか。

そして、「心理療法」はそれにどう答えるのか(答えうるのか)。心理療法(とくに深層心理学的心理療法)はどこへ行くのか…という論考。

目から鱗がぼろぼろ落ちる… とっても考えされられました。こういうマクロな見方って最近触れてなかったな〜

心の病の変遷について、河合氏は、「主体の確立」という観点から、対人恐怖(主体の確立葛藤)→境界例(主体のアンビヴァレンス)→解離性障害(主体の分裂)→発達障害(主体の欠如) という変遷をみています。

一方、田中氏は、20世紀における精神の病の治療を、「無意識」をブラックボックスとした「解離系列」の病と、「脳」をブラックボックスとした「発達障害系列」の2系列があると論じています。

「解離系列」とは、フロイトに始まる精神分析が治療対象としてきた、ヒステリー→境界例→人格障害→多重人格という流れ。

「発達障害系列」は、クレペリンの精神障害の分類→自閉症、アスペルガー、発達障害へ、という流れ。

そして、この二つの流れとも、行きついた先は、「精神分析だけでなく、心理療法それ自体の無効化」であった(P195)と非常に衝撃的なことを述べているのです。

たしかに… だれもが 思っていても怖くて口に出せなかったことかもしれません…。

長くなりますが、引用します。

心理療法は今や、無反省に従来のやり方やあり方にどどまることをやめ、発達障害という自身が向き合っている新たな対象に変えられることを受け入れねばならない。つまり、発達障害を「病態水準」に当てはめて考えるのではなく、発達障害という観点から「神経症」「人格障害」「精神病」といった慣れ親しんだ病態の本質を捉え直すことが必要なのだ。この文脈で言えば、われわれが今、真に求められているのは、先にもふれた通り、発達障害という観点からの心理療法の見直しであろう。(p.200)

実際のところ、欧米では、心理療法はもはや完全に滅びつつある。1980年代以降、すでに述べた<多重人格運動>はその代表的な例であるが、心理療法の内側で起きた出来事に法律が介入して訴訟が頻発するという事態や、その「経済」に保険という社会制度が介入するという事態が起こったからだ。近年の心理臨床の領域における認知行動療法の台頭も、そのような法律や制度の介入と深くかかわっている。それは、新しい心理学や心理療法の始まりなどではなく、その終焉であり、その意味で、21世紀は心理学の世紀とは決してなりえない。(p.201)

これを書いているのが、心理療法の意味を最初から認めない人ではなく、心理療法に命をかけている人(臨床心理士、ついでに田中氏は大学の先輩^^)だから、重い言葉です…。

こういうことを心の片隅に留めつつも、明日からまた、淡々と愚直に心理療法的アプローチをしていくしかないんだろうな〜