「共依存」とは、人に依存してもらうことに依存している状態、人間関係依存とも言い、そのことによって社会生活に支障をきたす場合をとくに共依存と言うようです。
 たとえば、アルコール依存症の夫の世話をやく妻、摂食障害の娘の世話をやく母などが共依存であることはめずらしくないようです。
 ほどほどの「相互依存」は人間関係には不可欠だと思いますが、「共依存」は、その関係なしでは生きていけないというとき。「この人(子)は、私がいないとやっていけないの」が、共依存者の口癖なのです。

 なんでこんなことを書いているかというと、私自身が最近夫から「子どもの世話をやきすぎてる!」と指摘を受けたからです。
 具体的には、朝、娘を起してから学校へ行かせるまで、私はひっきりなしに娘に指示を出しているらしいのです。自覚していませんでした! そして私の口から出た言葉は「だって、私が言わないと(娘は)動かないんだもん!」 (共依存者の言葉に通じるものが…苦笑)

 夫曰く「アナタがそういうふうにさせちゃってるの。子どもが自分でやるように変えていかないと」。はー、ごもっとも、です。

 私も朝からがみがみ言うのは決して楽しいことではないし、毎朝疲れる~と思ってるのです。でも、何も言わず見守っているのもツライ。取り仕切ってコントロールしている方が楽なんですね、結局。この「コントロール」というのも、共依存者の特徴だそうですが。

 これって、共依存の始まり!? なんてちょっと大げさjかもしれないけれど、「私が言わないと…」ってあたりは、一種の「共依存」状態だったかもしれないなと思いまして。

 子育ては最終的には子どもの自立を目指すものだから、もう今から、子どもの依存心が自立心に変るように、親の接し方を変えないと~世話をやくのはほどほどに~と思ったのでした。もちろん、心のつながりはしっかりキープしながらですけどね。

 考えてみると、母・妻というものは家族の「世話をやく」のがその役割の大部分を占めるのではないかと思うのです。だからそれを変えるのはある意味大変なこと。たとえ子どもが中年になったとしても「世話をやいている」母親、けっこういますよね。

 家族の身の回りの世話をやくという役割を失ったとき、それでも、母として妻としのアイデンティティを保ち、生き生きとしていられるか…チャレンジだなと思いました。

 さて、娘と話し合い、朝起してからは、私は「○○しなさい」とは言わないで、娘が自分で時計をみて行動することになりました。まだ1週間たってませんが、いまのところ、遅刻せず出て行ってます!な~んだ、できるんじゃん!という感じ。自分でできることはこれからもどんどん自分でするよう、励ましていこう、そして私は口も手も、出すことを少しずつ控えよう…たとえ寂しくても、と心に誓ったのでした。

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